スタッフBLOG

すずのきもとひこ物語2013年03月28日

もとひことの出会いは3年前の5月。

RECが駒場東大前に新設開校した時に、近隣の学校の生徒に無料で自習室として開放した時のことだった。

高校生になって最初の中間テスト前だったということもあり、学校帰りに受け取った“無料体験のちらし”を見てふらっと寄ってみたのだろう。

塾に入ることなど全く考えていなかったもとひこだが、塾の巧妙な営業トークに素直なもとひこは動かされてしまった。RECの最初の会員である。

 

東京では有数の進学校に通うもとひこではあったが、おっとりした生徒だった。

学校帰りに毎日のように顔を出してはいたが、教室に来てまずするのは食べるか寝るか。あるいは食べてから寝ることもあった。そして、勉強に疲れるとよく散歩に出かけていた。

散歩に出かけて2時間くらい戻らないこともあった。なにやら道に迷ったそうなのだが・・・塾としては親に合わせる顔がなかった。

 

のんびりしたもとひこではあったが「さすがだ」と感心させられることも多々あった。

数学の難しい問題を誰も思いつかないような解法で解いてきて驚かされることもよくあった。簡単な問題を間違えてびっくりさせられることもあったが。

計算もやたらに速いが、計算式をぐしゃぐしゃっと書くので、計算間違いもやたらに多かった。

世界史や日本史はただ暗記すればいいだろうと思うようなことでもしっかり流れで理解しようと資料集を傍らにおいて勉強していた。だからテスト範囲の勉強が終わらないでテストを迎えてしまうこともあったが。

穏やかな性格のもとひこはチューターの大学生からもかわいがられていたが、既卒生や後輩の中学生とも仲がよかった。

 

以前出演したきむらこうぞうとも仲がよかった。

文系理系の違いはあるにしても二人とも数学が得意ではなかったので、センター模試の後にはよく二人で傷の舐め合いをしていた。

クリスマスイブにREC内で行ったセンターテスト後も、いつものように傷の舐め合いをしていた。

その後、何やら二人で取り決めをしたらしく、

センター試験の過去問や昔の模擬試験を一日1回、本番さながらに勝負することにしたようだ。
いつも5点差以内の良い勝負で「勝った」「負けた」と騒ぎながら、缶ジュースを買っていた。まさか塾でかけごとはしていないと思うが・・・

もっとも2人とも“どんぐり”、言い換えれば“目糞・耳糞”だったのだが。

 会津生まれのもとひこはさすがに義理堅い。大手予備校に目移りすることなくRECに33ヶ月通い続けた。

 そんな義理堅いもとひこだが欲が無い・・・「早稲田か慶応に行けたらいい」「東京理科大経済学部もいいかなあ・・」とか言っていた。

 最終的には一橋大学社会学部を第一志望としたが、併願して受験する大学は早稲田社会科学部、文科構想学部、慶應商学部。

早稲田慶応を受けるにしても政経学部、経済学部といったブランド志向でないのがもとひこらしいところ。

 

もとひこの成績には波があった。波は誰にでもあるのだろうが、もとひこのそれは本当に大きな波なのだ。65の偏差値を取った1週間後に50の偏差値を取ってしまうようなところがある。普通英語や国語は安定するものだが、もとひこの場合英語や国語も波がある。

数学も波に乗れば高得点が狙えるのだが、ケアレスミス、計算間違いが多いので波に乗れないと悲惨な点数を取ってくる。

 

そんなもとひこに「ケアレスミスをなくすように!」とか「頑張れ!」とかの言葉は無意味に思えた。

会津っ子のもとひこは自分のためにではなく他人のために頑張ることができる。

「RECの実績のために頑張ってくれ!」とお願いした。

 

センター試験でまずまずの点数をとった後、もとひこはインフルエンザにかかった。

考えようによっては、この時期でよかったのかもしれない。もとひこの場合、1ヶ月も好調を維持できるとは思えなかったからだ。ここで一度調子を落として、2月の後半に向けてまた調子があがっていけばいい・・・・

 

インフルエンザが治ってからのもとひこは早慶の過去問を中心に勉強した。案の定、調子を落としている。調子を落とすことは想定内ではあった。徐々に本来の調子を取り戻してきたが、12日の早稲田文化構想部の試験の前日は7割くらいのできだった。

 

発表は教室から電話して聞いた。合格だ。 

次に慶應商学部。波に乗っているもとひこはこれも合格した。

やはり力はある。これで浪人することはなくなったのだろうが、この調子で100の力で一橋の試験に臨んでくれたら・・・・

 

2月25、26日と一橋大学との二日間の戦いの後、もとひこは教室に立ち寄ったが、その顔はとても晴れ晴れとしていた。「充分に力を出し切ってきた」からだと思っていたが、後で聞いたら単に「全ての試験が終わった」安堵感からきた“晴れ晴れ”だったらしい。

 

私立の第一志望である早稲田大学社会科学部は一橋の試験の後に発表だった。

 

3月2日 早稲田社会科学部の発表。合格したらメールが来ることになっていた。

メールが来た。

本人の行きたい学部であったので、これまでの2校とは違い、心底うれしい合格だったようだ。

 

一橋の前期の発表は9日の朝10時。

 

もとひこは後期に向けた勉強はしていなかったが、発表前日の8日に教室に遊びに来た。

すっかり、早稲田に行くつもりでいた。

 

12日、早稲田文化構想⇒合格 18日慶應商学部⇒合格 22日早稲田社会科学部⇒合格

 

そして 25日、26日の一橋大社会学部・・・もしも絶好調で迎えられたら合格するのだろう。

 

教えてもらっていた受験番号をネット上で見つけた時は、寒気がした。

「もしかしたら教えてもらっていた受験番号が間違っていたかもしれない」

「ぬか喜びだと後がつらい・・」

そう思って もとひこからの連絡を待ったが 全然連絡が来ない。なんでもアクセスが集中していてか なかなか発表を見ることができなかったらしい。

 

もとひこはその日のうちに合格の報告に来てくれた。感動の一日だった。

 

そしてこの発表の三日後にもとひこはノロウィルスに感染するのだった。

 

※この物語は多少の事実に基づいたフィクションであり、すずのきもとひこは実在しません