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はい論破、のあほなところ2016年04月19日

議論って難しいですね。

ディベートって何でしょうか。

ちょっとかじったことがある人ならわかると思うのですが、競技ディベートは以下のように進みます。

まず①お互いに立論して、②その立論に対しての反論を考えて発表し、③それに対して自分の論の擁護を行い、④最後に二回目の反論をする

最後まで行ったら、審判が「どれだけ説得力のある立論が出来たか」「立論の根拠を崩されなかったか」ということを判断して、勝敗を決めます。

 

この競技ディベート、論理的思考力を身に着けたり、「議論」をできるようにするということで、一時期大流行しました。今でも学校のカリキュラムの総合とかでやらせる学校も多いのではないでしょうか。

でも、これを「議論」だと思ってしまうと、大きな問題点があると思うのです。

議論は勝ち負けを決めるものではありません。

現状の認識の食い違いを直したり、得意な分野の異なる人たちが自分の強みを活かして動けるようにしたり、とか色々ありますが、それら議論の意味のあるところはまとめて

「次にどう動くかというのがはっきりする」

というところに意味があるのです。

決して、相手個人のスキャンダルを見つけ出してきて失脚させることが目的ではありません。些末な問題を取り出してきて執拗に攻撃することで、自分の不満に思う政策を引っ込めさせることがしたいのではないのです。

国会議員さん。

例えば、大きな理想を語ったとして予算が足りないときに、そんなのは予算が足りなくてできないとか人出が見込めないといって論破している場合ではなく、それをどう解決していくかという建設的な方向に行くのが、議論の効用です。

 

正しい議論をしろ!って言って、「議論の正しさ」に注意していくのは変だと思います。自然とまともな議論ができるようになりたいですね。